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HOME > 買取案内 > 自動巻 > ブライトリング コルト GMT A32350


ブライトリング コルト GMTをお買取させて頂きました。

  • ブランド名

    ブライトリング

  • モデル名

    コルト GMT

  • 型番

    A32350

  • 駆動

    自動巻

  • 文字盤色

    ブルー

  • 買取日

    2022年02月25日

  • 買取方法

    店頭買取

  • 買取店舗

    ビッグムーン京都

ブライトリング コルトGMTをお買取させていただきました!ケース経40mmとブライトリングとしては少し小ぶりな印象も受けますが、最近は小ぶりのケース経も流行ってきていますので、MAX査定額でご提示させていただきました♪保証書やCOSCも併せてお持ちいただいております。ありがとうございます(^^)ビッグムーン京都では中古ブライトリングだけでなく様々なブランド時計をお買取させていただいております。お買取り、下取りはビッグムーン京都にお任せください!

BREITLING について

その歴史は、1884年に創業者レオン・ブライトリングがスイス ジュラ渓谷 サン・ティミエに小さな時計工房を開いた事により始まりました。
この時 レオン・ブライトリングは若干24歳。レオンが他の時計師と違っていたのは、当時の時計(この時代時計と言えば基本懐中時計)としてはめずらしいクロノグラフを中心に生産をした事です。彼の時計は各地で開催される展示会で色々な賞を受賞し、
それに伴いブライトリングの名声は世の中に広まっていきました。

1892年手狭になったサン・ティミエからニューシャテル ラ・ショー・ド・フォンへと移転します。
1914年レオン・ブライトリングが逝去し、息子のガストン・ブライトリングが跡を引き継ぎました。
1915年にリューズの上に1つプッシュボタンのある当時としてはまだ珍しい腕時計のグラフグラフを発売します。
この時計が警察や軍から大評判。ブライトリングには多くのオーダーが集まりました。
1923年には2つのプッシュボタンの付いたクロノグラフムーブメントを搭載した懐中時計の特許を取得。
1927年にガストン・ブライトリングがこの世を去り、1932年に息子のウィリー・ブライトリングが後を引き継ぎます。
この5年間の空白の時間は何故か? それは、ガストンがこの世を去ったと時、息子のウィリーはなんと14歳だったのです。
その為、ウィリーが一人前になるまでの5年間は外部の人間によって経営がされていたようです。
3代目のウィリーの代になると時計の需要は懐中時計から腕時計へと移っていきました。
ウィリーが引き継いだ時にはブライトリングはかなりの名声を経ていましたが、さらなるブランドの発展の為、ウィリーはある決断をします。
それは、航空時計の製作です。なぜなら、航空機は1914年の第一次世界大戦においてめざましい進歩を遂げてあり、また、1927年には チャールズ・リンドバーグが初の大西洋単独無着陸飛行を成功させており、多くの人々が旅客機で世界を旅する時代が直ぐそこまで来ていると確信していたからでしょう。
この時現在のブライトリングのイメージとなる指針が示されたのかもしれません。
そんな中、1934年に世界初となるストップとリセットの2つのプッシュボタンを持つ腕時計のクロノグラフを開発し、これと同時に40以上のバリエーションのモデルを展開し、クロノグラフメーカーとしての地位を確立します。

1939年英国軍の為に、フライトクロノグラフを製造する契約を結びました。
この契約がきっかけとなり各国の航空会社や航空機メーカーと、公式なフライトウォッチのサプライヤーとしての契約を結んでいく事となるのです。
もちろん、第二次世界大戦に数々の実績を残した伝説的な戦闘機や爆撃機のコックピットにもブライトリングの時計があった事は言うまでもありません。

3代目のウィリーの時代にはブライトリングを代表する名機が多く誕生しているのでいくつかご紹介します。

1942年、回転計算尺をベゼルに搭載した史上初のクロノグラフ、クロノマット。
1952年、クロノマットの開発により、航空クロノグラフというジャンルを創出したブライトリングは、その10年後の1952年にナビタイマー。
※ナビタイマーとは  『航空』・『航海』を意味する 『Navigation』と、『時計』を意味する『Timer』を組み合わせた造語。
1950年、スーパーオーシャン
1958年、トランスオーシャン
1962年、ナビタイマーを24時間表示化したコスモノート。
1969年、クロノマチック
以上ざっと上げたモデルですが、現在でも人気のモデルが多く見られます。
ウィリーの時代がブライトリングの最盛期とと言えるかもしれません。

1970年代に入ると日本のSEIKOによって開発されたクォーツ時計が台頭し始めます。
近代の時計史における最も大きな出来事と言っても過言ではない『クォーツショック』です。
この出来事はブライトリングにも例外無く影響を及ぼしました。
しかもこの頃ウィリーは重い病にかかっており、二人いた息子も会社を引き継ぐにはまだ若すぎる年齢でした。
ウィリーは1979年4月に大きな決断をします。すべての権利を一人の男性に委ねる事を決めるのです。
その人の名前はアーネスト・シュナイダー。
そして1979年5月ウィリー・ブライトリングは帰らぬ人となり、同時に100年以上続いたブライトリング家の血は幕を下ろします。

ウィリーからブライトリングを託されたアーネスト・シュナイダーにより
1982年11月30日、ブライトリングはブライトリング時計株式会社に社名を変更、本社をラ・ショードフォンからグレヘンへ移します。
アーネストの下、ブライトリングは100周年を迎え、ベゼルのライダータブが特徴の新作クロノマットを発表します。
翌年、1985年には多機能モデルのエアロスペースを発表。また同年に手巻きのオールドナビタイマーも発売されます。
1987年には1985年に発表されたナビタイマーの自動巻きモデルを発売。

1994年には ブライトリングの実権はアーネスト・シュナイダーから息子のセオドア・シュナイダーへ移っていきます。
1995年には初代モンブリランを発表。
1998年にエマージェンシーを発表。
その他にも90年代にはスパシオグラフや、アナログとデジタルのハイブリッドモデルのB-1などが発売されています。
1999年には全モデルに搭載されるムーブメントの100%クロノメーター化を宣言しました。
2003年にはイギリスの自動車メーカー、ベントレーとパートナー契約を締結します。
2009年ブライトリングは創立125周年のこの年に自社開発製造キャリバー01自動巻クロノグラフを発売しました。
2010年には エアロスペースの流れをくむクロノスペースをリリース。
2017年、時計業界が驚嘆した出来事が起こります。
ブライトリングがCVCキャピタル・パートナーズの参加に加わる事が発表されたのです。
これによりシュナイダー家2代に渡るブライトリングの歴史には幕がおろされました。
新CEOにはジョージ・カーンが就任し現在にいたります。
※ジョージ・カーン・・・1965年にドイツで誕生。食品会社クラフトを経て、1996年にタグホイヤーに入社(これが時計業界としては初めて)、
2009年からはIWC(International Watch Company :インターナショナルウォッチカンパニー)に移り、CEOを努めブランドを再建した実績を持っている。

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